闘うマイノリティ

水俣病事件と向き合う大学生の怒りの殴り書きです。

被告、日本。

 一人の怒りを、とくと見るがいい。

 このブログは、私がきちんと段階を踏んで培ってきたこの怒りを風化させないためのものである。というのも、私はとある経験から奴隷根性が染みついており、あなたのために言っているのよ、などという、なんとも無責任な一言にさえ、いともたやすく首を垂れてしまうような人間であるからだ。自分でもあきれるほど、私は人に影響されやすい。

 しかし、それでは何も変わらない。怒りに満ちた人を、人はとっさになだめすかす。まあまあ、という一言の先には、必ず相手をあきらめさせようとする言葉が紡がれる。果たしてその行動に一体どのような意味があるのだろうか。自分勝手な正義ごっこに私を利用することはやめていただきたい。この怒りの根源には大きな事件が潜む。その解決よりも先に、私をなだめすかすことはやめていただきたい。私は感情に身を任せているわけではない。この問題解決への取り組み、果てしない道中、私自身がくじけぬよう、腐らぬために怒りを身体中に満たしているのだ。

 許しがたいものを許す必要はない。ただし、許さぬのならばそれだけの行動に取り組むべきだ。

 私は、この国を許さない。臭いものに蓋をするがごとく目をそらし、にやけながらこちらをなだめたあいつらを、私は絶対に許さない。

 水俣病は、公害病ではない。